大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和48年(ワ)2372号 判決

原告 甲野一郎

右法定代理人親権者母 甲野花子

原告 甲野花子

原告両名訴訟代理人弁護士 野島信正

右訴訟復代理人弁護士 金丸弘司

被告 東京都

右代表者知事 美濃部亮吉

右指定代理人東京都事務吏員 門倉剛

〈ほか二名〉

被告東京都補助参加人 小川利治

右訴訟代理人弁護士 山下卯吉

同 竹谷勇四郎

同 福田恒二

同 金井正人

同 武藤正敏

同 高橋勝徳

被告 浦上輝彦

右訴訟代理人弁護士 高田利広

同 小海正勝

被告 平野新策

右訴訟代理人弁護士 川村武郎

右訴訟復代理人弁護士 坂本福子

主文

一  被告東京都、被告平野新策は、各自

1  原告甲野一郎に対し金八〇〇万円および内金七四〇万円に対する昭和四七年一一月二九日から完済まで年五分の割合による金員、

2  原告甲野花子に対し金四七〇万円および内金四四〇万円に対する昭和四七年一一月二九日から完済まで年五分の割合による金員、

を各支払え。

二  原告らの被告浦上輝彦に対する請求および被告東京都、被告平野新策に対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告らと被告浦上輝彦との間においては原告らの負担とし、原告らと被告東京都、被告平野新策との間においては、原告らに生じた費用を三分し、その二を原告らの、その一を被告東京都、被告平野新策の各負担、被告東京都に生じた費用は被告東京都の負担、被告平野新策に生じた費用は被告平野新策の負担とする。

四  この判決は主文第一項につき仮に執行することができる。

事実

第一申立

(原告ら)

一  被告らは各自、

1 原告甲野一郎に対し金一、七二三万八、九〇〇円および内金一、五六七万一、七一九円に対する昭和四七年一一月二九日から完済まで年五分の割合による金員、

2 原告甲野花子に対し金一、〇一六万六、〇〇〇円および内金九二四万二、三五五円に対する昭和四七年一一月二九日から完済まで年五分の割合による金員、

を各支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  仮執行宣言

(被告ら)(全員共通)

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二主張

(原告ら)

請求原因

一  (当事者の地位)

原告甲野花子は、亡甲野太郎(以下太郎という)の妻、原告甲野一郎は、右太郎、花子夫婦の長男である。

被告東京都の管理する警視庁赤羽警察署(以下赤羽署という)は、昭和四七年一一月二八日頃は、署長鈴木成、刑事課長小川利治そのほかの構成であり、被告浦上輝彦は肩書住所地において開業する内科・小児科の医師であり、被告平野新策はタクシー運転手である。

二  (太郎の経歴等)

太郎は、昭和六年一一月一日、本籍地福島県○○郡○○○村字○○×番地で、父甲野十郎、母ウメの五男として出生、昭和一三年四月○○○尋常高等小学校に入学し、昭和二一年三月に同校高等科二年を卒業、その間毎年にわたり優等賞を授与される程成績抜群であったが、家庭の事情のため上級学校へ進学できず、父親の職業である左官業についた。昭和三二年一一月原告花子と婚姻、その頃上京し昭和三五年八月原告一郎出生、昭和三七年一〇月郷里の福島へ帰り同地で左官業に従事していたが、昭和四五年四月頃、郷里に妻子を残して単身上京、兄甲野五郎方に止宿し、同人の経営する甲野工業(シェル石油大阪発売所のコンクリート特殊防水工業の専属的下請)に雇傭されていた。

同人は、口数も少なく、思慮深く慎重な性格で、酒量は日本酒で三、四合程度である。

三  (事件当日の太郎の行動)

昭和四七年一一月二七日、太郎は、横浜の竹中工務店の防水工事を終え、その帰途同僚の訴外Aとともに横浜駅前の酒屋で日本酒をコップ二杯飲み、午後八時頃五郎方へ帰宅した。五郎の妻咲子が食事はと聞くと食べて来たとの返事であった。太郎は、少し休んだ後午後九時過ぎ風呂に行くといって石けんとタオルを持ち、ジャンパーを着用し、懐中に約五、〇〇〇円の現金を所持し、サンダル履きで外出した。

同日は月曜日なので近所の風呂屋はすべて休みであったが、太郎は、五郎の家族らが就寝中の午後一一時頃帰宅し、自ら寝具を敷き、その後再び外出し、翌二八日午前零時頃、北区志茂一丁目一一番先路上にさしかかった。

被告平野は勤務先の東京タクシーの営業車を、その友人訴外中川清(以下中川という)は白塗り乗用車を各運転し、同月二七日午後一一時頃北区志茂一丁目一一番地先路上に至り、車を止めエンジンをかけっ放しで、女性一名を加え三人で話をしたりしていた。被告平野は太郎よりも体が大きく、身長は約一〇センチ高い。

四  (本件事故の発生)

1 同月二八日午前零時頃、太郎は右同所において被告平野に対し、駐車中のタクシー営業車が通行の邪魔になる旨注意し、同車のバックミラーに触れたところ、被告平野は、車から降りて太郎を追いかけ、太郎と口論の末、太郎の身体を道路端の塀に押しつけ、噛みつき、その腹部を数回にわたり足蹴りし、太郎に対し外傷性腸管破裂の傷害を与え、後記のとおり同人を死亡させた。

2 右口論中、中川が警視庁一一〇番へ通報し、赤羽署巡査部長服部勝太郎ほか二名が同日午前零時二五分頃現場に到着したところ、被告平野らは、右警官らに訴えて、太郎を暴行現行犯として逮捕させたうえ、同署に同行して、係官に対し太郎の方が一方的に悪い旨申し立て、太郎の腹部を足蹴りしたことは何も述べないで、そのまま同署から退去してしまった。

五  (赤羽署留置中の状況)

1 (吉田医師の診察)

太郎は赤羽署において取調べを受けたが、嘔吐を繰り返し、腹部の疼痛を訴えるに至り、同日午前二時頃警官らは太郎を吉田外科医院(北区赤羽二丁目四〇番一号所在)へ同行し、同医院の訴外吉田英夫医師(以下吉田医師という)の診察を受けさせた。

その際警官らは、太郎が苦悶し、前記症状を呈しているのに、吉田医師に対し、太郎は殴られてはいない、噛みつかれただけであると説明したため、同医師は、とりあえずこれを急性胃炎と診断するに至った。

2 (吉田医師の入院指示)

太郎は赤羽署の留置場内に収容されたが依然として嘔吐し腹部の激痛を訴えるので、同署看守らは困り果て、上司と相談のうえ、看守係の勝田巡査長が同日午前一一時頃吉田医師を訪ね、太郎がなお腹部の痛みを訴えているがどうしたらよいかとその処置を質した。

そこで同医師は異常を感じ、痛みが継続しているので穿孔性一二指腸潰瘍の疑いをもち、勝田巡査長に精密検査の必要があるから即刻入院させるよう指示し、ベットを空けて待っていた。

3 (取調べ強行)

吉田医師の指示が右のとおりであり、かつ太郎は顔面蒼白、眼は落ち凹み、痛い痛いと腹を押え、上体を前へ屈めてでなければ歩行できず、食事も口にできない状態であったにも拘らず、同署菊地昭忠刑事らは、太郎に対し仮病だと罵倒し、数回にわたり取調べを強行した。

4 (浦上医師の診察)

赤羽署刑事課長小川利治らは、太郎の症状が右のとおり異様なところから手当の必要を認め、再度医師の診断を受けようとしたが、吉田医師の前記入院指示を承知しながらこれを無視し、同日午後三時一〇分頃被告浦上医師の来診を求めた。

同日午後三時一〇分過頃被告浦上医師は赤羽署留置場内において太郎を診察した。太郎の着衣をとり、臍の上辺りを押えると同人が痛い痛いと訴えたが腹腔内の異状を触診できず、留置後の同人の嘔吐、腹部の疼痛の回数、程度および症状の経過等につき十分確めず、前医である吉田医師の診断結果に追随し、太郎の疾病は実は後記のとおり腹膜炎であったのに、これを胃炎と誤診した。

5 (看守の作為・不作為)

浦上医師の診察後も、太郎は翌二九日朝迄留置場内において大声をあげて苦痛を訴え続けたが、看守らは医師の手当を受けさせる等の処置をとることなく放置し、二九日起床後看守は太郎を少年房から連れ出し、苦痛のため洗面する力もない太郎の髪の毛を引張って顔を無理矢理に上げさせて洗面させるという非道な所為を行なった。

以上の経過により太郎に対し適切な処置がとられなかったため、太郎は昭和四七年一一月二九日午前七時三〇分頃赤羽署留置場内において遂に外傷性腸管破裂による汎発性化膿性腹膜炎のため死亡するに至った。

六  (責任)

1 被告平野の故意

被告平野は重大な身体傷害を加える事実を認識しながら、太郎の腹部をあえて数回にわたり足蹴りした故意がある。

2 赤羽署警察官らの過失

(一) 被疑者留置規則(昭和三二年八月二二日国家公安委員会規則第四号)は「逮捕された被疑者の留置を適正に行なうため必要な事項を定め」(第一条)たものであるが、同規則第四条第一項によれば「警察署長は被疑者の留置および留置場の管理について、全般の指揮監督に当り」、同第二項によれば「警察署の刑事主管の課または係の長(以下「留置主任者」という。)は警察署長を補佐し、看守勤務の警察官(以下「看守者」という。)を指揮監督するとともに、被疑者の留置および留置場の管理について、その責に任ずるものとする。」とされ、右の「留置主任者は、昼間および夜間各一回以上巡回し、看守につき、指揮監督を行なうようにしなければならない」(第一五条)し、看守者は、たえず留置場を見廻り、留置人の動静に注意を払わなければならず(同第一七条)、留置人からその処遇等につき申出があったときは、直ちに留置主任者に報告し、必要な措置が講ぜられるようにしなければならない(同第一九条)。さらに「留置主任者は、留置人が疾病にかかった場合には、必要な治療を受けさせ、別房に収容して安静を保たせ、または医療施設に収容する等その状況に応じ適当な措置を講じなければならない。」(同第二七条)のである。

右規則は、警察署長、留置主任者、看守者の職務上の地位に応じ職務上の義務を定めたものであるが、拘束中の被疑者ないし留置人が外部と隔絶され身体の自由を有しない以上、右各義務は当然のものであるとともに、これらに限定されるわけではなく、また捜査担当者においても同様というべきである。

そうすると、赤羽署長鈴木成、同署刑事課長(留置主任者)小川利治、菊地昭忠刑事そのほか看守勤務者捜査担当官は、いずれも太郎の健康状態を逐一把握し必要な治療を受けさせ、あるいは医療施設に収容する等適切な措置をとり、その生存に必要な保護をなすべき義務を有するものといわねばならない。

(二) したがって、赤羽署警察官らは、わざわざ吉田医師に処置を質さなければならなかった程太郎の症状を認識し、吉田医師から前記入院指示を受けているのであるから、右指示に従い直ちに太郎の入院措置をとるか、同医師による再診を受けさせるなどして万全の措置を講ずべき義務を有するにかかわらずこれを怠り、警察官特有の被疑者の仮病、詐病観にとらわれ、前記のとおり太郎の取調べを強行し、吉田医師の入院指示に従わず、同医師の再診も求めず、事態は一刻を争う筈であったのに四時間以上も太郎を放置し、やっと全く別異の医師である被告浦上医師の往診を求めたのは、赤羽署員らの人命軽視による重大な過失である。

しかも、被告浦上医師の診断に際し、同被告に対し太郎の病状経過につき十分な説明をせず、右診察後もなお太郎が苦痛を訴え続けているのになんらの措置もとらずに太郎を留置場内に放置した過失がある。

(三) また平野の暴行について、仮に被告平野が一方的被害である旨供述したとしても、タクシーのバックミラーが損傷を受けており、かつ同被告の洋服が破れていたとすれば、これとパトカー現場到着時の太郎と被告平野の態勢、同人らの服装その他を総合してみるならば、被告平野の暴行の疑いの可能性はかなり高いというべく、同被告の一方的被害である旨の申告を軽信したことは赤羽署員の捜査上の重大なミスである。

3 被告浦上の過失

被告浦上は医師として太郎の腹部の疼痛を伴う嘔吐の原病である腹膜炎を適確に判断し、適切な治療をなすべき義務を有している。すなわち患者の既応歴を正確にとり、患者の体位、歩行の様子を調べ、視診、触診、聴診を順次行なうとともに、看守らから太郎の逮捕時から診察時にいたるまでの症状の経過、腹痛の回数、程度、嘔吐の回数等を問い質すなどして現症を適確に把握し、前医である吉田医師の診断時から既に一二時間以上経過しているのであるから同医師の診断結果に影響されることなく、要すれば同医師に所見を問い合せるなどしてまた太郎の前記症状経過からすれば少なくとも自己の医院等に収容し太郎の経過を観察する義務があるにもかかわらず、これを怠り既応歴にとらわれ吉田医師の診断結果に追随し漫然と胃炎と判定した過失がある。

4 被告浦上の債務不履行(予備的)

昭和四七年一一月二八日午後三時頃赤羽署刑事課長小川利治らを要約者、被告浦上を諾約者、太郎を第三者とする第三者のためにする診療契約が締結され、太郎は被告浦上の診察を受けたことによって黙示の受益の意思表示をした。

被告浦上は診療契約締結後、太郎を赤羽署留置場内で診察し、太郎の疾病が腹膜炎であるのに単に胃炎と誤信し、適切な治療行為をなさなかったため太郎は右留置場内において同月二九日午前七時三〇分頃死亡した。

右太郎の死亡は被告浦上が医師としての善良な管理者としての注意義務すなわち業務の性質上危険防止のため実験上必要とされる最善の注意を用いて診察をなすべき義務に違反し、太郎の疾病が腹膜炎であることを診断できなかった被告浦上の診療契約上の債務不履行に基づくものである。

以上のとおり共同して加害行為を行なったのであるから、被告東京都は国家賠償法第一条一項、その余の被告につき民法第七〇九条(被告浦上は予備的に第四一五条)、全被告は同法第七一九条一項前段または後段により、原告らが蒙った全損害を賠償する責任がある。

七  (損害)

1 太郎の損害

(一) 喪失利益 金一、四五〇万七、七二〇円

月収 一〇万八、〇〇〇円(四、五〇〇円(日収)×二四日(月間労働日数))

生活費 三万円

純収入 月額七万八、〇〇〇円、年額九三万六、〇〇〇円

就労可能年数 二四年間

ホフマン係数 一五・四九九七

(二) 慰藉料 金六〇〇万円

太郎は留置場内において嘔吐を繰り返し、腹部の疼痛を訴え続けたが、警察官、医師の適切な処置と治療を受け得られずに死亡するに至った。その肉体的、精神的苦痛を慰藉するには金六〇〇万円が相当である。

2 原告一郎の損害

原告一郎は、太郎の死亡により前記損害を法定相続分に従い相続したが、未だ一二才の年少にして父を失い、かつその死亡の場所が留置場であったことは、同原告にとって精神的苦痛が甚大で、これを慰藉するには左の金額が相当である。

(一) 喪失利益の相続額 金九六七万一、八一四円

(二) 慰藉料の相続額       金四〇〇万円

(三) 原告一郎固有の慰藉料    金二〇〇万円

小計金一、五六七万一、八一四円

(四) 弁護士報酬    金一五六万七、一八一円

本件訴訟を弁護士野島信正に対し委任するに際し、請求認容額の一割を報酬として支払う旨約した。

合計金一、七二三万八、九〇〇円

3 原告花子の損害

原告花子は、太郎の死亡により前記損害を法定相続分に従い相続し、太郎の葬祭費用として左の金額を支出し、最愛の夫が留置場内で不慮の死を遂げるという悲劇に遭遇し、今後は原告一郎を女手一つで育成する立場に立たされた、その蒙った精神的苦痛を慰藉するには左の金額が相当である。

(一) 喪失利益の相続額 金四八三万五、九〇六円

(二) 慰藉料の相続額       金二〇〇万円

(三) 葬祭費用      金四〇万六、五四七円

(四) 原告花子固有の慰藉料    金二〇〇万円

小計金九二四万二、四五三円

(五) 弁護士報酬     金九二万四、二四五円

本件訴訟を弁護士野島信正に対し委任するに際し、請求認容額の一割を報酬として支払う旨約した。

合計金一、〇一六万六、六〇〇円

八  (結論)

よって被告ら各自に対し、原告一郎は金一、七二三万八、九〇〇円、原告花子は金一、〇一六万六、六〇〇円および右各金員から弁護士費用を控除した金員(原告一郎は金一、五六七万一、七一九円、原告花子は金九二四万二、三五五円)に対する太郎死亡の日である昭和四七年一一月二九日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告東京都)

請求原因に対する答弁

一  請求原因第一項(当事者の地位)の事実は認める。

二  同第二項(太郎の経歴等)のうち、太郎は、昭和六年一一月一日、本籍地である福島県○○郡○○○村字○○×番地において父十郎、母ウメの五男として出生、昭和三三年一一月原告花子と婚姻したこと、昭和三五年八月原告一郎が出生したこと、および太郎は事件発生当時兄五郎方に止宿し、同人が経営する甲野工業に雇傭されていたことはいずれも認め、その余の事実は不知。

三  同第三項のうち、太郎は、昭和四七年一一月二七日、横浜市内で仕事をした後飲酒し、自宅に帰り、午後九時頃銭湯に行くため家を出たこと、太郎はその後二八日午前零時二五分頃事件現場の路上(北区志茂一―一二―一四)にいたこと及び相被告平野は太郎より体が大きく身長も高いことは認め、その余の事実は不知。

四  同第四項のうち1の事実中、被告平野が太郎に噛みついたとの点、腹部を足蹴りした回数については不知、左の点を除くその余の事実は認める。

太郎と被告平野との争いになった日時は一一月二八日午前零時一〇分頃、場所は北区志茂一丁目一二番一五号、駐車中の車はタクシーではなく中川運転の自家用自動車であり、争いの発端は太郎が中川運転の車の窓ガラスをしつこく叩き、移動しようとした車のバックミラーをゆすって壊したものである、同2の事実は認める。但し、太郎を暴行現行犯として逮捕したのは、警察官が逮捕の理由と必要性があると判断したものである。

五  同第五項のうち、1(吉田医師の診察)の事実中、太郎が赤羽署において嘔吐したこと、腹部の痛みを訴えたこと、同日警察官が吉田外科医院へ同行し、吉田医師の診断を受けさせたこと、同医師が急性胃炎と診断したこと、

2 (吉田医師の入院指示)の事実中、太郎が赤羽署の留置場に収容されたこと、同署の看守らが相談のうえ(上司との相談ではない。)看守係員勝田寛が吉田医師を訪ね、太郎がなお腹部の痛みを訴えていると告げたこと、同医師は勝田に精密検査をやってみるから連れて来てくれといったこと、

3 (取調べ強行)の事実中、太郎が腹部を押さえ痛みを訴えたこと、上体を前にかがめて歩行したこと、食事を余り摂らなかったこと(夕食は少量摂取した。)、取調べを行なったこと(午後三時四〇分頃から約二〇分間本人の承諾のもとに一回取調)、

4 (浦上医師の診察)の事実中、赤羽署警察官らが太郎の症状から浦上医師の来診を求めたこと、午後三時一〇分頃被告浦上が赤羽署留置場内において太郎を診察したこと、着衣を拡げ(脱がせたのではない。)腹部(臍の上辺りのみではない。)を押えると太郎が痛いと訴えたこと、胃炎と診断したこと、

5 (看守の作為、不作為)の事実中、浦上医師の診察後も太郎が留置場において痛みを訴えたこと、

太郎が、昭和四七年一一月二九日午前七時三〇分頃赤羽署留置場内において、外傷性腸管破裂による汎発性腹膜炎のため死亡したこと、

はいずれも認める。ただし、太郎を吉田医院へ同行したのは午前一時四三分頃、看守勝田が吉田医師を訪ねたのは午後一時四五分頃であり、太郎が嘔吐したのは吉田医師の治療前の二回のみである。その余の事実は否認し、太郎が痛みを訴えた態様および太郎に対して適切な処置がとられなかったとの点は争う。

六  同第六項(責任)、2(赤羽署警察官らの過失)のうち、(一)の事実中、被疑者留置規則の各規定が存在すること、赤羽署長鈴木成、同刑事課長小川利治、捜査担当官および看守勤務者が右規定(ただし規則一九条は被疑者の申出があった場合のことである。)に基づき、それぞれ職務上の地位に応じ職務上の義務を有すること、太郎の生存に必要な保護をなすべき義務を有すること、

(二)の事実中、赤羽署員らが吉田医師(外科)の再診を求めなかったこと、被告浦上(内科)の診断を求めたこと、は認め、その余の事実および赤羽署員に過失があったとの点は否認する。

七  同第七項(損害)の事実はすべて争う。

被告東京都の主張

一  太郎を逮捕するに至った経緯

1 赤羽署パトロールカーに同乗中の同署巡査部長服部勝太郎らは、昭和四七年一一月二八日午前零時二二分ごろ「酔っぱらいの器物毀棄」の無線指令を受け、現場に急行し、同零時二五分ごろ、志区北茂一―一二―一四付近に到着したところ、太郎と被告平野が道路側端のブロック塀近くにおいて相互に両腕を掴み合っていたので、右両名および中川ならびに居合せた目撃者から事情を聴取したところ、太郎が同被告の自動車のバックミラーを壊し、同被告の顔面を数回殴打し更に背広上衣の前身頃を破損するなどした事実が認められ、この時点では同被告の太郎に対する暴行は見受けられなかったので、太郎を暴行及び器物毀損の現行犯人として逮捕し、同日午前零時四五分頃、太郎を宿直責任者の大和田係長(警部補)に引致した。

二  引致後の状況

1 服部部長らは、同署刑事課第二調室において、甲野から住所、氏名を確認しようとしたが、同人は、住所については、「○区○○×―×―×」と答え、氏名、職業については「うるさい。」と怒鳴りつけ答えなかった。

2 同部長らは、引きつづき、同所にて、甲野の身体捜検を行ったところ、タオル(乾いているもの)、石けん、軽便カミソリ、手帳等の所持品があった。

3 その後、同署巡査部長大島清光らが、同所にて、甲野から弁解を録取しようとしたところ、同人は椅子に腰をおろしたまま、前かがみになって床に嘔吐したが、まもなくおさまり、弁解録取に応じた。

同人は、弁解録取に対し、住所は「○○×―×―×」、職業は「ない。」、名前は「お前なんかにいう必要はない。」と答え、同署巡査部長松本国夫の「何をやったのか。」との質問に対しては「何言ってるんだ。」と、また、同部長の「暴行と器物毀棄の現行犯人として逮捕されているんだが。」との質問に対しては「俺は何も記憶がない、何もやっていない。」と、弁護人選任については「いらない。」と答えた。そのため、同部長はその旨録取書面を作成し、署名押印を求めたが、甲野はこれを拒否した。

同人は、このあと、再び嘔吐し、「腹が痛い。」といったので、同部長が「何んだ相手にやられたのか。」と質問したところ、同人は「痛いのは痛いんだ。」とのみいって、暴行を受けたとは供述しなかった。

4 同署大和田係長は、甲野の犯行の態様、氏名を黙否し、犯行を否認している状況等から留置の必要を認めたが、腹痛を訴えているので、巡査部長両角富夫、巡査長宮崎始および前記服部部長らに命じて、同署から約八〇メートル離れた吉田外科医院に甲野を伴なわせ、吉田英夫医師の診察を受けさせた。

三  吉田医師の診断等について

同日午前一時四三分ごろから右吉田医師の診察が行なわれたが、診察にあたって、両角部長は、同医師に対し、「暴行できているものだが、ヘドを吐いて腹が痛いといっているので診てもらいたい。」旨を話した。

同医師は、甲野をベッドにあお向けに寝かせ、腹部を裸にして両手で何回も押さえたり、また脚部の上にまたがり、腹部を押さえるなどして診察した。

同人は、同医師が腹部を押さえるたびに、「痛い」といったので、両角部長が「先生が診てくれているんだから、ただ痛いだけではなく、どこがどう痛いのか、よく話せよ。」というと、甲野は黙っていた。

同医師は、診察後、痛み止めの注射を一本うち、両角部長らに「心配ないよ、大丈夫だ、酒の飲みすぎだよ。注射したから大丈夫だよ。」と告げたので、同部長らは、午前二時ごろ甲野を同署に連れ帰った。

四  留置時の状況

1 大和田係長は、両角部長らから吉田医師の右診断結果の報告を受けて、留置に支障はないと判断し、甲野の留置を命じた。

2 同部長は、午前二時五分ごろ、甲野を同署留置場に伴ない、看守担当巡査晴山泰、および同狩野義信を指揮し、あらためて甲野の身体捜検を行ない、腹部等に外傷のないことを確認した。その後、同部長は、狩野巡査らに、甲野を吉田医師に診断させた経緯およびその診断結果を伝え、甲野の経過を見守るよう指示して少年房に収容させた。

五  平野らの取調べは、甲野に対する前記の処置と並行して同署において行なわれた。

1 平野については、巡査石村尚文が担当した。

平野は、停車中の中川の車で、同人と話していたところ、午前零時を少し過ぎたところ酔っぱらった男(甲野のこと)がきて、「車が邪魔だ。」といい、しつこく運転席の窓を叩いたこと、中川が車を移動させようとしたが、前部のバックミラーを掴んで離さないため、中川と一緒に車から降りて同人に注意したが、やめないため、同人の体や手を車から引き離そうとしたら、同人がバックミラーの接着部分を壊わしたこと、中川に一一〇番するよう頼んだこと、酔っぱらいを押さえていたが逃げられたので追いかけて捕えたこと、その際手首に噛みつかれたり、手拳で数回殴られたり、背広上衣を破かれたりしたこと等を供述した。同巡査は平野に「貴方もその酔っぱらいを殴ったりなんかしていないか。」と質問したが、同人は一方的被害である旨を強調し、自らは暴行を加えていないと供述した。

同巡査は右供述に基づき供述調書を作成し、被害届、および告訴状を提出させた。

2 中川については、巡査米山勇が事情を聴取した。

中川は、争いの発端については平野と同様の供述をなし、平野が酔っぱらいの男(甲野のこと)に殴られたので志茂町の交番に走って行き一一〇番したこと、現場に戻ったら平野が酔っぱらいを押えており、そこへパトロールカーが到着したことなどを供述したので、同巡査は、右供述に基づき供述調書を作成した。同巡査は、中川に対しても、同人又は平野が暴行に及んでいないか否かを確かめたが、中川は、自己については暴行を加えていない旨、又平野についても自己の見ている限り、暴行は加えていない旨答えた。

3 大和田係長は、平野らの供述と、着衣の損害が平野だけであり、甲野には外傷や着衣の損傷等が見られず、平野らの供述は、客観的証拠と合致していることから、同人らを被害者、又は参考人として取調べを終了し、両名を午前三時すぎごろ退署させた。

六  留置中(二八日医師の診療に至るまで)の状況

1 当夜の宿直幹部は、甲野を留置後交代で毎時間留置場を巡視した。

2 松本部長が午前三時一〇分ごろ巡視したところ、甲野は毛布をかけて横臥しており、まだ酔いもさめず呂律のよく廻らない口振りで「何いってんだい、馬鹿野郎。」といったりしていたが、異常はなかった。

3 巡査部長大坪一三は、甲野が留置された後二回留置場を巡視したものであるが、二回目の午前五時一五分ごろ、甲野が「痛いよ。」と小声でいったのを聞きとがめ、房外から約二分ぐらい同人の様子を観察した。

しかし、同人は、以後何も言わなかったので、看守に事情をたずねたところ、同人が留置前に腹痛を訴えたこと、医師が酒の飲み過ぎと診断し注射をしていることを知り、留置場を出て、検査係室にいた松本部長に対し、甲野がまだ痛いといっている旨を告げた。そのため、松本部長は、午前五時四〇分ごろ、甲野の様子を見るため、少年房に入り同人に対し、「どうだ痛いのか。」と聞いたところ、同人は「ええ、腹がチクチク。」と答えたので、同部長は、腹部に怪我でもしているのではないかと思い、「腹を見せてくれ。」といって、腹部を裸にして検査したが、腹部に何らの外傷もなかった。また、甲野は、特に激痛を訴えている訳でもなく、医師の診察等を求めているわけでもなかったので、同部長は甲野に対し、「痛みが激しいようだったら担当さんに申し出てくれ。」と伝えた。

4 同人は午前六時の起床時は、他の留置人と同様、看守の起床の号令で起きあがり、自ら房内の清掃、用便、洗面を普通に行ない、点呼も立って受けた。その後同人は、房内の壁にもたれて坐り、足を前に伸ばしてその上に防寒のため与えられていた毛布を腰付近までかけていた。

5 看守担当巡査部長若林は、同日午前七時四五分ころ留置場を巡視した際、看守から甲野に関する前夜来の経過報告を受けた。そこで同部長は、少年房に行き、甲野に対し、「どこが痛いのか。」と聞いた。同人は「臍のまわりが痛い。」と答えたので、「何を飲んだのか。」ときくと、同人は「酒を飲んだ。」と答え、また、「酒だけか金物(異物のこと)を飲んでいないか、金物でも飲んでいるとこのままにしておく訳にはいかないがどうだ。」ときくと、同人は、「別に何も飲んでいません。」と答えた。さらに、同部長は、「医者にかからなくてもよいか。」と聞くと、甲野は、「大丈夫です、ここに入る前に医者に診てもらっている。」「酒を飲むといつも胃が痛くなるんです。」と答えた。

なお、同人は朝食はとらずお湯だけを飲んだ。

6 午前九時三〇分ごろ、大交代(看守勤務員の交代)時に、大和田係長、警部補福原広平、若林部長および二七日・二八日の当番勤務の看守勤務員らが立会って点呼を行なった。このとき大和田係長が房外から、甲野に対し、「夕べ腹が痛い痛いといっていたが、今はどうか。」と聞くと、同人は、「まだ少し痛い。」と答えた。また、同部長が、「君はいままでに大きな病気をしたことがあるか、おなかの病気で入院したことがあるのか。」と聞くと、甲野は、「そんなことはない。」と答え、さらに、同部長は、「胃の具合はどうだ。」と聞いたのに対し、甲野は、「俺は慢性胃炎だ。」と答えた。そこで同係長は、「私も慢性胃炎だが、私の薬をあげようか。」というと甲野は、「それを下さい。」といった。そのため、同係長は、同署刑事官警部八嶋保雄にこの経過を報告し、その承認をえて、自己の服用のため板橋愛誠会病院よりもらっていた粉薬一包、錠剤一個を午前一一時一〇分ごろ担当看守をして甲野に服用させた。

7 前記八嶋刑事官は、大和田係長から宿直中の報告を受け、甲野の腹痛の状況を確認するため、午前一〇時二分ごろ留置場を巡視し、房外から同人に対し、「どうしたんだ。」と声をかけた。同人は壁にもたれて座っていたが「オー」と元気な声を出し、前夜の吉田医師の診断結果を覆えす種の異常は認められなかった。

七  浦上医師の診察に至る経過

1 若林部長は、同日午後一時三〇分ごろ、留置場を巡視し、甲野の状況が朝と変わらないことから、念のため、再度医師の診断を受けさせようと考えたが、たまたま捜査係担当幹部との連絡がとれなかったため、巡査長勝田寛に対し、とりあえず吉田医師から薬を貰ってくるよう指示した。

2 勝田巡査長は、午後一時四五分ごろ(原告は午前一一時ごろと主張している。)、吉田医師に会って「昨夜診てもらった被疑者がまだ痛いといっているから薬をもらえませんか。」と頼んだところ、同医師は、「それでは精密検査をやってみるから連れてきてくれ。」といい「検査した結果入院する場合は民生保護の手続はとってやるから。」とつけ加えた。

3 勝田巡査長は、直ちに帰署して、留置人の運動に立会中の若林部長に吉田医師の言葉を伝え、同部長の指示で事件担当の福原警部補および八嶋刑事官に報告した。八嶋刑事官らは、甲野の処置について検討した結果、前夜はとりあえず外科医に診せているが同人に外傷がないこと、腹痛を訴えていること等から内科医に診察してもらった方がよいと判断し、若林部長に警察医の浦上医師の診察を受けさせるよう指示した。

しかし、若林部長は、浦上医師は通例午後一時から三時まで往診予定であることから、同医師の診察をうけられないことを慮り同刑事官とも相談のうえ、赤羽中央病院に甲野を連れて行く旨の電話連絡をしたが、念のため、午後二時二〇分ごろ、浦上医院に電話したところ、浦上医師が在院していたので、往診を頼み、赤羽中央病院へは取消しの連絡を行なった。

八  浦上医師の診察等について

1 浦上医師は、午後三時一〇分ごろ来署し、少年房において甲野を診察した。診察に立会った若林部長は、同医師に対し、昨夜酔っぱらって暴れ、バックミラーなどを壊わし逮捕されたこと、留置する前に嘔吐して腹が痛いというので吉田医師に診せたこと、同医師は胃痛と診断し、痛み止めの注射一本をうったこと等の説明をした。

同医師は、甲野を仰向けに寝かせ「今まで痛くなったことがあるのか。」「どこが痛いのか。」等の問診を行なった後、同人の衣服を拡げて、胸、腹部を押さえたり、体に聴診器をあてたりして診察した。同医師は、痛み止めの注射一本をうち若林部長らに対し、「腹膜なら熱がある筈なのに熱がない、吐気もない、どこを押しても痛いというが酒を飲んだようだから急性胃炎だなあ。」といい、さらに「四時に薬をとりにくること、その時容態を知らせて欲しい。」と指示して帰った。

九  取調べについて

福原警部補は、浦上医師の診察が終った直後の同午後三時四〇分ごろから第二調室において、甲野を取調べ、同四時ごろ入房させた。同人は、暴行の事実を認めたものの、犯行の前後の状況は余り記憶していないと供述した。福原警部補は「君もやられたのではないか。」と質問したが、甲野は黙って何も答えなかった。

一〇  留置中(二九日朝に至る)の状況

1 取調べ終了後、甲野は痛みも訴えず房内で就寝した。

若林部長は、午後四時四〇分ごろ浦上医院に赴き、甲野の診察後の状態について連絡し、同医師から飲み薬四日分と甲野が痛みを訴えたら服用させるように指示された痛み止めの薬二回分を受領した。そして、同部長は、午後五時ごろ、甲野が夕食を食べたことを看守勤務員から聞いて、同五時四〇分ごろ前記飲み薬を同人に与え、看守勤務員に右医師の指示を伝えてその余の薬を保管させた。

2 小川刑事課長は、同日午後五時、宿直体制に入るにあたって宿直員を集合させ、留置人に対する注意事項として少年房に体の不調者を留置していること、医師の診察を受けていること、留置場を巡視する際はよく見るよう指示した。

その後、八嶋刑事官、小川課長は、それぞれ留置場を巡視し、甲野が就寝していることを確認した。同午後七時には少年係巡査部長山根章資が立会い留置人に就寝の準備をさせた。このとき、甲野は用便に出たが、同部長が甲野に「大丈夫か。」と声をかけると同人は黙ってうなづいた。このあと点呼も号令で自発的に立って小さい声で返事したが特に変った状況は認められなかった。

このこと宿直幹部が巡視し、二八日午後一一時すぎ、二九日午前一時すぎの二回甲野の申出により、用便を行わせまた同午前一時二〇分ごろ巡視した福原警部補が目をさましていた甲野に「どうだ大丈夫か。」と声をかけると同人は「ええ」とうなずいていたが、そのほかは静かに就寝していた。

3 二九日午前五時すぎころ甲野が痛みを訴えたので勝田巡査長が「余り痛いようだったら六時に起床だからそれから医者に診せようか。」と聞いたが甲野は返事をしなかった。

そこで同巡査長は「薬を飲むか。」と聞くと、甲野は「薬を下さい。」と答えたので、浦上医師から指示されていた痛み止め(錠剤)一回分を服用させた。

4 以上の経過で午前六時起床時間になり、山根部長が立合って甲野を除いた他の留置人に毛布の収納、房内の清掃を行なわせた。

用便の順番になり、看守が就寝していた甲野に声をかけると、同人は自分で歩いて房外に出て用便を済ませ、続いて洗面したのち、房内に戻り横臥した。

この後、各房ごとの点呼に際し同人は上半身を起こして返事した。次の一連番号の点呼の際は、山根部長が甲野に「寝ていなさい。」と指示し同人だけを除外した、これら起床清掃点呼等は午前六時四五分ごろ終了したが、その間、同人からは何らの訴えもなく、格別異常も認められなかった。

5 午前七時三〇分ごろ朝食が届いたので、草野巡査が甲野の食事を持って少年房の前に行って同人に声をかけたが、返事がないことから異常を感じ、同人の顔面を見ると蒼白になっているので、直ちに福原警部補に連絡した。直ちに同警部補、巡査菊地昭忠が房内に入ったが、甲野は既に呼吸もなく、脈搏も感じられなかったので急いで浦上医師の来診を要請した。

間もなく到着した同医師は、午前七時四〇分ごろ強心剤注射二本をうつとともに人工呼吸を行なったが効果なく、午前七時四五分ごろ死亡を確認した。

一一  解剖等の結果について

甲野の死体は、検死の後即日東京都監察医務院において、行政解剖に付された。その結果、死因は外傷性腸管破裂による腹膜炎と推定された。腸管破裂の原因は、固いもので圧迫されたため、小腸が背椎にぶつかり、その圧迫によるもので、その時期は逮捕時ごろと推定された。

一二  傷害致死事件としての捜査

1 解剖結果により、赤羽署は警視庁捜査一課および機動捜査隊の応援を得て、同日から傷害致死事件として捜査を開始した。

2 まず、甲野が酩酊して逮捕現場に至っていることから、平野らとの接触以前に受傷しているとも思料されたので、一一月二七日の甲野の足どりについて捜査したところ、同人はその日横浜市内で稼働後飲酒し、自宅に帰り、午後九時ごろ銭湯に行く為家を出たが、午後一〇時三〇分ごろ北区赤羽西一~一四~一八飲食店「あかね」に立寄り飲酒し、午後一一時ごろ同店を立去ったこと、同店で別にトラブルを起していないことが判明した。しかし、赤羽、王子両署管内飲食店三七一軒についての聞きこみによっても同人が家を出た午後九時ごろから右「あかね」に立寄った同一〇時三〇分ごろまで、および同店を出た同一一時ごろ以降逮捕現場に至るまでの足どりはつかめなかった。

3 一方同人の暴行等の被害者と目されていた平野および友人中川についてもこれと並行して捜査を行ない現場付近民家の聞きこみによって甲野と平野と取っ組み合っているのを目撃している者、甲野と平野の争いの時間ごろ怒鳴り合う言葉とうめき声を聞いた者が判明した。一二月一三日に至って、中川は「平野が二八日赤羽署から帰途の車中で酔っぱらいを足蹴りしたことを打ち明けまた、赤羽署で酔っぱらいが腹の痛みを訴え医者に診せられたとき足蹴りしたためではないかと心配したなどと話した。」と供述し、更に、中川の妻からも「事件後平野が酔っぱらいを一発やったと話していた。」との供述が得られたので、赤羽署は逮捕状をとり、同日午後八時同人を傷害致死被疑者として通常逮捕した。

平野は、逮捕後の取調べにおいて「酔っぱらいから顔や肩、胸などを手当り次第に殴られ夢中で捕えていたが、逃げられそうになり、突嗟に相手の下半身を左足で蹴る動作をした。」と自供したことにより、甲野の受傷部位と右供述の内容、および平野がはいていた革製短靴等から受傷は平野の足蹴りによるものと推認されたので、同署は事件を同月一五日同人の身柄とともに東京地方検察庁に送致した。

(被告浦上)

請求原因に対する答弁

一  請求原因第一項(当事者の地位)中、被告浦上に関する部分は認め、その余は不知。

二  同第四項(本件事故の発生)のうち、1の事実は不知、2の事実中太郎が暴行現行犯として逮捕、留置されたことは認め、その余は不知。

三  同第五項(赤羽署留置中の状況)のうち、1ないし3の事実はすべて不知、4の事実中赤羽署小川刑事課長らが被告浦上医師の来診を求めたこと、同日午後三時一〇分過頃赤羽署留置場内で太郎を診察したこと、太郎の着衣を拡げ(脱がせたのではない)その上辺りを押えると同人が痛いと訴えたこと、胃炎と診断したことは認め、その余は否認、5の事実は不知、太郎が死亡したことは認め、その余は不知。

四  同第六項(責任)のうち、1、2の各事実は不知、3被告浦上の過失は否認、4の事実中赤羽署よりの依頼により太郎を診察したこと、太郎を赤羽署留置場で診療したこと、一応病名を急性胃炎としたこと、太郎が留置場で死亡したことは認めるが、その余は争う。

五  同第七項(損害)は争う。

被告浦上の主張

被告浦上の行なった診療の経過は左のとおりである。

一  昭和四七年一一月二八日午後三時一〇分電話の依頼により、被告浦上は、赤羽署留置場に訴外亡甲野太郎(以下患者という)を往診した。留置場入口の看守室にて患者の留置理由を尋ねた。

昨夜酒に酔い、他人の自動車をとめて、バックミラーなどをこわし、さらにあばれるので、運転手が一一〇番し、現行犯として留置されたものであり、運転手などは何の抵抗もしなかった。留置後ときどき腹痛を訴えうなるので往診を依頼したものであるという。さらに、嘔吐、吐気についての質問に対しては、留置後一度も嘔吐も吐気もないということ、痛みもころげまわるような強い痛みではなかったとの答えであった。

看守は平常、疾病の経過をよく説明してくれていたので、この言葉をそのまま信じた。後刻患者死亡後になって、留置前吉田外科に診断を仰いでいることなどわかったがこの時点では、被告は一切知らされてはいなかった。

二  被告浦上が留置場に入ると、患者は左側臥位に静かに横臥しており、うなり声もきかれず、転々反側することもなく、顔面も苦悶状も呈していなかった。

どうしたんだネと尋ね、けんかをしたのか、自分もなぐられたりはしなかったかとの問診に対しては、首をかしげて考えるようであったが、なぐられたなど具体的な説明はなかった。また、留置後も、現在も嘔吐はなく便意もない。以前にも時々腹痛があった、現在は上腹部に疼痛があり、左側臥位をとっていると楽であるというのが返答であった。

発熱はなく、脈搏七二、緊張良、腹部を診ると上腹部はやゝ膨隆しているが、腹壁は平坦、皮下出血、擦過傷はなく、静脈怒張、蠕動不穏、胃腸輪廓は認めない。上腹部に圧痛はあるが筋性防禦はなく腫瘤は触れない。下腹部に圧痛はない。小野寺氏点()、ボアス氏、マウバン氏圧痛点(+)であった。

病歴からみて外傷性のものは考えられないので、これを除外し、胃・十二指腸潰瘍、胆石症を疑った。一般状態も悪化しておらないので、一先づブスコパン一c.c.の筋肉内注射を行ない、経過をみることにし、看守には胃痙攣のようなものかも知れないが、四時すぎに薬をとりにきてほしい、その時に今の注射で痛みが軽くなったか、同じか、あるいはひどくなったかもよく観て知らせてくれと依頼した。また、患者取調開始の時期については、痛みが完全にとれてからにし、それまでは毛布をかけて静かに寝かせてほしいと答え、薬をとりにきてもらうまでの症状の経過を十分観察しやすいようにしておいたのである。

三  午後四時三〇分(注射後約一時間)薬をとりにきた。その時被告浦上は、他の患者を診察中であったが、この患者に一時待ってもらい、訴外若林看守を診察室に招き、患者の様子を尋ねた。痛みはまだ若干残っているが、注射前に比べれば大分楽になっているという返事であった。痛みが不変、または増強していれば、潰瘍、胆石症、さらには急性膵炎を疑い、直ちに入院をすすめるつもりであったが、症状軽快とのことで、精密検査はいずれ落着いた後に行うこととし、求められるままに一応病名は急性胃炎とした。

健胃散一グラム、ラックB一グラム、ロート×〇・四グラムを四日分、ブスコパン一回二錠屯服とし二回分を処方した。

従来も風邪などで留置人が発熱すれば、夜分でも看守は被告宅に電話連絡をしていたので、その後も気にはなっていたが、電話連絡もないまま、症状は軽快しているものと思っていた。

四  翌二九日午前七時四〇分同署から電話があり、患者が死亡しているらしいとの連絡で、直ちに留置場にかけつけた。患者の腹部は全体に膨隆し、既に死亡しており、強心剤筋注、人工呼吸等を行なってみたが反応はなかった。

(被告平野)

請求原因に対する答弁

一  請求原因第一項(当事者の地位)のうち、被告平野がタクシー運転手であることは認め、その余の事実は不知。

二  同第四項(本件事故の発生)のうち、1の事実中被告平野の行為は全て否認し、2の事実は警察官の名を除き認める。現場に到着した警察官の名は不知。

三  同第五項のうち、太郎が死亡したことのみ認め、その余の事実はすべて不知。

四  同第六項(責任)のうち、1(被告平野の故意)は否認し、その余の事実は不知、被告平野の責任は争う。

五  同第七項(損害)の損害額については争う。

被告平野の主張

被告平野と太郎の間の経緯について

一  昭和四七年一一月二七日午後一一時頃被告平野は、友人である中川の相談相手として北区志茂一丁目一一番地付近にある中川の実姉宅へ自動車で赴いた。被告平野と中川は別々の車を運転していたものであるが、中川運転の乗用車を先に二台連ねて同番地付近の路上に駐車し、その後中川の実姉宅での用件をすませ、午後一一時五〇分頃車にもどり、両名共中川の乗用車に乗車し、エンジンを始動させ車内にいた。

その時前方より太郎が歩み寄って来た。太郎は手になにも持たず一見して相当酩酊している様子であった。太郎は両名の乗車していた車両の直前まで来るや、車内をのぞきこみ、そして道路端で小便をし、その後運転席の方に移動し窓を手で叩いた。なお付近の道巾は約五メートルあり通行の支障になるような状態ではなく、何故ガラス窓を叩いたのかは不明である。勿論太郎とは過去全く面識はなかったものである。

そして両名とも酔っぱらいにからまれたら面倒であるということから車を前方へ移動させ、太郎をやりすごそうとした。しかし太郎は車を移動させても離れようとせず、今度は車の前方に立ちふさがるようにしつつ運転席側のバックミラーをつかみひっぱり始めた。

やむなく助手席にいた被告平野は下車し、太郎にやめるよう口頭で注意した。一旦太郎は手を離したがすぐに又ミラーを掴み「こわすぞ。」と言いながらもぎ取ろうとした。そこで同被告は、太郎の手を押え止めようとしたが間に合わず、止め金がはずれ、バックミラーはブラブラする状態となり、なお太郎は離そうとしなかった。そのため折柄下車してきた中川に同被告は警察官を呼ぶように頼み、中川はすぐ電話をかけに立ち去った。

二  ようやくバックミラーを離した太郎を被告平野はなだめすかすようにして道路の反対側、車と離れた箇所に連れて行き、警察官の到着を待たんとした。しかし、それまでバックミラーを故なく壊しはしたものの同被告には暴力を振るおうとしなかった太郎が警察官が来ることを恐れたのか、やにわに路上の反対側に移動を始めたときより、なだめすかそうとしていた同被告に対し拳骨をもって二、三発同被告の顔面を殴り始めた。

そのため被告平野は、太郎の腕を押え暴行をやめさせた。もとよりこの間同被告は太郎に対し何らの暴力をも振るっていない。だからこそ警察官を積極的に呼ぼうとしていたものである。同被告が両腕を押えたところ太郎は「逃げないから離してくれ。」と頼んだので、同被告はその言を信じ手を離した。しかし太郎はすぐ来た方向に駆け出し逃げようとしたが酔っているためかすぐ追いかけた被告平野につかまった。

三  このつかまった時点から太郎は猛然と抵抗をはじめ、全く手出しをしない被告平野に対して殴る・蹴る・つきとばす・噛みつく等目茶苦茶に暴れ始めた。そのため同被告が着ていた上衣は破かれ、ズタズタになるほどであった。しかし、この間同被告は抱き込んでとにかく警察官の到着まで持ちこたえようとしたが(噛みつかれたのはこのように抱き込もうとしたからである。)、警察官到着の直前に通りかかった若者達が一方的に殴られている同被告を見て「やっちまえ。」と声をかけても自分が暴力を振えば喧嘩ということになると考え、一切手出ししなかったものである。

このような情況のなかで、被告平野は反対に塀に押しつけられてしまった状態の時に警察官がようやく駆けつけ、太郎をとり押え、逮捕し、同人をパトカーに乗せ赤羽署へ連行した。

被告平野は、署に来るようにとの警察官の言葉により中川の車に乗車してパトカーのすぐ後から赤羽署に行った。そして告訴をするようにすすめられ、刑事課の大部屋で告訴をし、同時に中川は目撃者ということで事情聴取された。その時太郎は大部屋の奥にある調室内に居り、その後大部屋を通って警察官と共に医者に行き、間もなく帰って来た。その後の太郎については被告平野は一切目撃していない。

四  要するに、バックミラーを壊されたことに始まり、酔っぱらいにからまれ、暴行を受けたというのが被告平野にとっては全てなのである。

この間、被告平野は、上衣をズタズタに破かれても一切抵抗せずにいたものである。

従って、被告平野との間の一連の経過の中で、被告平野の過失行為によって太郎の死に至ったとは到底考えられず、被告平野は本件について何らの法的責任を負うべき筋合はない。

第三証拠関係≪省略≫

理由

一  請求原因一の事実は、原告らと被告東京都の間で争いがなく、右事実中浦上が肩書住所で開業する内科小児科医師であることは同被告との間で争いがなく、右事実中被告平野がタクシー運転手であることは同被告との間で争いがない。

二  ≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

太郎は、昭和六年一一月一日、本籍地福島県○○郡○○○村字○○×番地で、父甲野十郎、母ウメの五男として出生し(以上は被告東京都との間で争いがない)、昭和一三年四月、同郡○○○尋常高等小学校に入学し、昭和二一年三月同郡○○○村国民学校高等科二年を卒業し、その間優等生で通したが、父を亡くしたため上級学校へ進学できず左官職につき、昭和三三年一一月原告花子(妻)と結婚し、東京都○○区に居住して昭和三五年八月長男原告一郎が生まれた後、昭和三七年一〇月郷里へ帰り叔父の許で左官業に従事したが、昭和四五年単身上京し、兄甲野五郎方に止宿し、五郎の経営する甲野工業に雇傭されていたこと(原告花子と結婚したこと、原告一郎が生まれたこと、事件当時五郎方に止宿し甲野工業に雇傭されていたことは被告東京都との間で争いがない)が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  ≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。この認定を覆すに足りる証拠はない。

1  太郎は、昭和四七年一一月二七日、甲野工業の仕事先である横浜の竹中工務店のマンション工事現場で防水工事を終え、同僚のAと横浜駅前で飲酒し、午後八時頃五郎方へ帰宅し、同家では夕食をすることなく一休みした後、午後九時頃、銭湯へ行くといって石けんとタオル、カミソリ、くし等を持ち、ジャンパーを着用して懐中に約五、〇〇〇円の小銭を所持し、サンダル履きで外出した、当日は月曜日で近所の風呂屋はすべて休みであったが、五郎の家族が就寝中の午後一一時頃一旦帰宅し、自室に寝具を敷き伸べた後再び外出し、赤羽駅近くの飲屋「あかね」で日本酒の銚子一本を空けたのち、翌二八日午前零時頃、北区志茂一丁目一一番先の本件事件現場付近にさしかかった。

2  被告平野は、同月二七日午後九時三〇分頃、同僚の中川清の離婚問題の相談にあずかるべく、同被告はタクシー営業車、中川は自家用車を各運転して本件現場付近に到着し、車を駐車させて、中川の姉宅で色々と話合いの後同日午後一一時五〇分頃同家を辞去して車に戻り、暖をとるため、各自の車のエンジンをかけ、被告平野は中川の乗用車の中で同人と善後策を相談しているうちに翌二八日午前零時を回った。

四  (太郎の死因および受傷の部位程度)

≪証拠省略≫によると次の事実が認められる。

1  死因

太郎は、昭和四七年一一月二九日午前七時三〇分頃赤羽署留置場内で、腹部打撲により生じた空腸上部の挫裂創(破裂創)による汎発性化膿性腹膜炎、すなわち外傷性腸管破裂による汎発性化膿性腹膜炎が死因となって死亡した(以上は被告東京都の関係では当事者間に争いがなく、太郎の死亡は、その余の被告らの関係でも、当事者間に争いがない。)

2  創傷の部位、程度

(一)  腹部

(1) 上腹部正中線から約五センチメートル(以下センチと略称)右寄り、臍から約一〇センチの高さの部位に、長径をやや斜外下方に向けた楕円形三・〇×二・〇センチの極めて淡い紅色の皮内出血。

(2) 空腸上部(始起部近く、十二指腸空腸曲より約二五センチの部位)に、腸間膜附着部を中心として、前面、後面にほぼ同じく各四センチの挫裂創(破裂創)が腸管横軸方向にあり、腸内容物をもらす。同創近くの腹膜は化膿性線維素性炎著明である。

(3) 右挫裂創の下部の小腸間膜根部に約四・〇×四・〇センチの腸間膜出血。

右(2)、(3)の創傷の部位は上部腰椎の前部にあたる部位であり、(1)の上腹部傷もほぼ同じ高さであり、(1)の上腹部傷は(2)空腸上部挫裂創(破裂創)および(3)腸間膜出血を惹起した打撲傷であり、(2)空腸上部挫裂創は死因となった汎発性化膿性腹膜炎を惹起した外傷性腸管破裂創であり、(3)腸間膜出血は比較的軽度な打撲傷である。

なお、腹腔内諸臓器には、前記以外に潰瘍・出血など病変なく、損傷もない。

(二)  左右下肢

(1) 左下腿ほぼ下半部の前面やや内側寄りに拇指頭面大内外の皮下出血三個、足関節内側にほぼ小鶏卵大の皮下出血一個。

(2) 右下腿の右と同じ部位に拇指頭面大内外皮下出血二個、足関節部内外にほぼ小鶏卵大の皮下出血一個。

右(1)、(2)は左右下腿のほぼ同じ部に散在する軽度の打撲傷である。

3  凶器の種類、その用法

本件創傷は総て鈍体によるものである。

(一)  上腹部傷は面の余り広くない硬い鈍体の作用により惹起され、上腹部正中線から僅か右寄りから、前腹壁より後腹壁方向僅か内左方に向う急激な作用により、空腸上部(起始部から約二五センチの部位)の腸間膜附着部は後腹壁下にある硬い脊骨とこの硬い鈍体との間に挾圧されて、挫裂創(破裂創)を惹起せしめた。

(二)  小腸間膜出血は、右の上腹部への外力の際共に生じた。

(三)  左右下腿のほぼ下半部の前面やや内側寄りの斑状皮下出血はすべて鈍体による打撲によって生じた。

以上のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

五  (被告平野の行為と結果について)

右認定事実に、≪証拠省略≫を総合すると、

1  同月二八日午前零時一〇分頃、本件現場付近路上に駐車中の乗用車の中で被告平野と中川が話し込んでいるところへ、前方(北)から太郎が通りかかり両名の乗った車内を覗き込み、道路端で小用を足した後再び引返して来て、運転席のガラス窓をノックした。

2  中川らは太郎が酔っているのをみてとって、酔漢にからまれると事が面倒であると考え、自動車を前へ移動させて太郎をやり過そうとしたが、太郎が運転席側のバックミラーを掴み「こわすぞ。」というので、被告平野が運転席から降りて太郎に近付き「やめてくれ」といったが、太郎はなおもバックミラーを放さなかったので、同被告は太郎の腰をかかえて離そうとしたところ、そのはずみで、バックミラーは、そのビスが飛んで、ブラブラする状態になってしまった。

3  そこで太郎と被告平野の口論となり、太郎の態度に怒った被告平野は中川に「警察を呼んで来い。」と命ずると共に、自から太郎を取押えて警察へ突出そうと考え、太郎の襟首を持って道路西側の塀に押しつけ警官の到着を待とうとしたが、太郎は激しく抵抗したので、被告平野は、着用する背広上衣の前身頃は引き裂かれ、左袖は引きちぎられ、顔面も拳骨で数発太郎に殴打された。しかし、被告平野は太郎の襟首を絞めあげて(同被告は柔道初段)道路反対側(東側)の塀に太郎の身体を押しつけた。

4  太郎は激しく抵抗したが、体格、力量とも勝る被告平野によって、道路反対側の塀に身体を押しつけられ、襟首を絞めつけられたため、息が詰まり、「苦しい。放してくれ、逃げないから。」と叫んだ。被告平野は、「じゃあ放してやる。」といって手を放したところ、とたんに太郎が北の方へ逃げ出したので、大いに立腹して太郎を追った。

5  警察へ連絡した手前、太郎の激しい抵抗にあいながら自制していた被告平野も、太郎が右のように逃走を図ったことに激昂し、数十メートル追跡して太郎を捕えるや、足払いをかけ、太郎の上腹部を力一杯蹴りあげ、勢い余って両名とも道路中央に引っ繰り返った(同被告が太郎を足蹴りしたことは、その回数の点を除き被告東京都との間では争いがない)。

被告平野は、右の暴行に因って、太郎に対し、前記認定の上腹部皮内出血、空腸上部腸管破裂創、腸間膜出血の傷害を負わせた(被告平野が太郎を足蹴りして外傷性腸管破裂の傷害を与えたことは被告東京都の関係では争いがない。)。

6  右の暴行を受けた太郎は、苦痛のため道路中央にうずくまり、暫く立ち上がることも出来なかったが、被告平野はその間太郎の傍にしゃがんで「大丈夫か。」と太郎の容態を心配していた。

7  ややあって太郎は起き上がり、被告平野は太郎の腕を掴んで道路側端のブロック塀に寄りかかり、太郎と相対する姿勢でいるところへ、赤羽署のパトロールカーが到着した。

8  その後、太郎は右傷害(外傷性腸管破裂)に因り惹起された汎発性化膿性腹膜炎が死因となって前記認定のとおり死亡した(この点は被告東京都の関係では争いがない。)。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

以上の事実関係によれば、被告平野は故意或は少くとも過失により被害者太郎に腸管破裂の傷害を負わせ、これと後記認定の赤羽署員の過失による治療の不相当とが相まって惹起した本件死亡事故によって、太郎とその妻と子である原告らに生じた損害を賠償する義務があるといわねばならない。

六  (赤羽署警察官らおよび被告浦上の行為と結果について)

1  (吉田医師の入院指示前の太郎の症状とその医療措置ならびに留置中の状況)

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  被告東京都の管理する警視庁赤羽警察署は、昭和四七年一一月二七日当時は、署長鈴木成、刑事課長小川利治その他の構成であったが、(この点は被告東京都の関係では争いがない。)赤羽署パトロールカーに同乗中の服部巡査長らは、同月二八日午前零時二二分頃、「酔っぱらいの器物毀棄」との無線指令を受け現場に急行し、零時二五分頃北区志茂一―一二―一四付近に到着したところ、太郎と被告平野が道路東側端のブロック塀近くにおいて相互に両腕を掴み合っていたので、右両名、中川および現場に居合せた目撃者から事情を聴取し、太郎が被告平野の友人中川の乗用車のバックミラーを壊し、被告平野の顔面を数回殴打して同被告の背広上衣の前身頃を引き裂き、片袖を引きちぎる等した事実が認められたので(被告平野の太郎に対する前記認定の暴行の事実はこの時点では判明せず。)、服部巡査部長らは太郎を暴行、器物毀棄の現行犯人として逮捕し、パトカーに乗せて赤羽署へ連行し、午前零時四五分頃宿直責任者大和田係長に引致した。(被告平野、中川は参考人として同署へ出頭した。)

(二)  ひきつづき、服部巡査部長らが同署で太郎の身体捜検を行なったところタオル(乾いているもの)、石けん、軽便カミソリ、手帳等の所持品があった。

(三)  さらに、同署刑事課第二調室において大島巡査部長が太郎から弁解を録取しようとしたところ、太郎は前かがみになって床に嘔吐した。同巡査部長が弁解録取を続けたところ、住所は○区○○×丁目云々(乙第一号証の留置人住所欄に記載があるが、これは何者かにより抹消され、○区○○×まで判読できるが以下は不明瞭、その上に明らかに異なる用具、筆跡で不詳と記入)、職業はない、氏名は甲野太郎と答えたが、犯行事実については否認し、その後再び嘔吐し「腹痛い」と訴えたので同巡査部長は録取を断念し、その旨大和田係長に報告した。

(四)  そこで、大和田係長は、右調室へ赴き、太郎に対し「どこが痛いんだ。」「誰かにやられたのか。」と何度か質問したが、太郎は「おなか痛い。」「俺は帰るんだ。」と答えるのみで、被告平野から暴行の被害を受けた事実を申告しなかった。そこで同係長は太郎の留置の必要を認めたが、同人が腹痛を訴えているため、外見上外傷は窺えなかったが、念のため医師の診断を仰いでおくこととし、両角巡査部長らに命じて、同署から八〇メートル離れた吉田外科医院に太郎を連行させ同日午前二時過頃吉田英夫医師の診察を受けさせた。

(五)  吉田医師は一目で太郎が飲酒していることが判ったので、外傷性の腹痛の可能性を考え、付添いの警察官に「暴行を受けた事実があるか。」と尋ねたところ、右警察官は、暴行を受けたような形跡はないようだが、警察へ連れて来たところ突然腹痛を訴えた旨回答した。(同医師が右警察官に尋ねたのは、太郎が同医師の問診に一言も応えないからである。同人は目を開けて同医師を見ているのだが、「どこが痛いんだ。」と聞かれると目を閉じて視線を外してしまい何も答えなかった。)

吉田医師は太郎を診察台に寝かせ、頭部外傷のないこと、腹部を中心に調べ、外傷のないこと(前記認定の上腹部傷は生前看取しえないものであったことは≪証拠省略≫により明らかである)を確認し、圧痛点や腹直筋の防禦反応を診たところ、上腹部の腹直筋防禦が強烈で腹部全体が板状に硬くなっていたので、右防禦が随分強いのに疑問を持ったが、一過性の症状としては急性胃炎でも同様の症状が出ることもあるので、暴飲暴食による急性胃炎と一応の診断をし、鎮静剤を静脈注射し、同日午前二時三〇分頃診察を終えた。太郎は診察後、警察官に伴われて普通に歩いて赤羽署へ帰った。なお、同医師は右診察に際し、太郎の下半身(脚部)は診ていないし、左程重症との印象は受けなかった。

(六)  大和田係長は、付添った両角巡査部長から「吉田医師は太郎を裸にして大分よく診てくれた。太郎はどこをさわっても痛い痛いという、同医師は飲みすぎじゃないかといって注射を一本打ってくれた」旨の報告を受け、太郎の症状は留置に耐えるものと判断し、被疑事実を否認していることでもあるので留置の必要ありと判断し、両角巡査部長らに太郎の留置を命じた。

(七)  同巡査部長は、直ちに太郎を同署留置場に伴ない、少年房に収容した。同日、午前二時四〇分以降に大和田係長が留置場を見分すると、太郎は前屈みになって海老のように体を縮め側臥位で寝て、「痛い痛い」といっていたので、「さっき注射をしたんだから、もう少しで痛みはなくなるんじゃないか。」と太郎に対し声をかけて、担当看守には、よく太郎を見守るように注意して出場した。

(八)  他方被告平野および中川に対する事情聴取は、平野については石村巡査、中川については米山巡査長が担当して行なわれたが、被告平野は、石村巡査の「貴方もその酔っぱらいを殴ったりなんかしていないか。」との質問に対し、一方的被害であることを強調して、自分は暴行を加えていないと供述し、中川も、米山巡査長の同旨の質問に対し、自己は暴行を加えていないし、被告平野も中川の知る限りでは暴行は加えていない旨供述した。そこで、両警察官は、被告平野および中川両名の右供述に基づき各供述調書を作成し、被害届および告訴状を提出させた。

(九)  大和田係長は、被告平野および中川両名の供述と、バックミラーや背広上衣の破損等客観的被害が被告平野らに認められるうえに、当時太郎に外傷のあることが、いまだ発見できず、その着衣に損傷も見受けられず、また、太郎本人からは何ら被害の申告もない(担当捜査官は何度もその点を確認している。)こと、被告平野らは素面で、平素酔払いの扱いに慣れたタクシー運転手であり、供述も一貫しているのに対し、太郎の方は酒に酔っているところから、被告平野らを被害者又は参考人として、事情聴取を終了し、同日午前三時過頃、両名を退署させた。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

2  (吉田医師の入院指示とその後の医療措置ならびに留置の状況について)

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  同月二八日午前三時一〇分頃、松本巡査部長が留置場を巡視したところ、太郎は、酔いもさめやらず「何いってんだい、馬鹿野郎」といっていた、同日午前五時一五分頃、大坪巡査部長が巡視したところ、太郎が小さな声で「痛いよ。」といった、同五時四〇分頃、松本巡査部長が少年房内に入り、太郎に対し「どうだ痛いか。」と聞いたところ、太郎は「ええ、腹がチクチク。」と答えた。

(二)  同日午前七時四五分頃、若林巡査部長が留置場を巡視すると、少年房の太郎は、壁に背中を寄りかからせ、右手を右下腹に当て、足を投げ出して座っていたので「どこが痛いのか。」と尋ねると、太郎は「臍のまわりが痛い。」と答えた。丁度朝食時間であったので食事を摂るかと尋ねたところ、太郎は食事はいらない、お湯だけくれというので、同巡査部長は太郎に白湯を与えた。

(三)  若林巡査部長は、太郎が食事もとらないところからその容態に不審を抱いて、宿直責任者であった大和田係長に事の顛末を尋ねたところ、同係長は「酒を飲んでの単なる胃痛だから、注射もうってあるし、静かに寝かせてあればいいとのことだから、静かに寝かせておいてくれ。」と説明した。

(四)  同日午前九時四〇分頃、留置場看守の大交替があり、留置人の点呼が行なわれ、少年房の太郎もへっぴり腰で立って点呼に応じた。その際、大和田係長が太郎に「どうだ夕べ大分お腹痛いといっていたが、今どうだ。」と尋ねたところ、「まだ少し痛い。」と答えたが、同係長はへっぴり腰ながら立って点呼を受けた位だから大したことはあるまいと考えた。同係長は、自分が慢性胃炎であるところから薬をやろうかと太郎に問うと、太郎は「下さい」と答えたので、八嶋刑事官の許しを得て、同日午前一〇時ちょっと前項に担当看守を介して自己の使用する胃薬を太郎に与えた。

(五)  看守係勝田巡査長は、同日午前九時四〇分から看守勤務についたが、少年房の太郎の容態が不審で、太郎にどこが悪いのか、どんなふうに痛むのかと再三聴いたが太郎が何も答えないので、上司の若林主任に、今のままの太郎の様子では明朝まで安心できないから医者にもう一度診てもらってはどうかと報告した。同主任は、同意見であったので、係長のところへ相談に行ったが生憎誰も席にいなかったため、勝田巡査長に、薬をもらって来るようにと指示した。

(六)  勝田巡査長は、同日午前一〇時三〇分頃から午前一一時頃までの間に吉田外科医院を訪ね、吉田医師に「先生に今朝診てもらった者が、まだ痛むといっていますが、薬もらえませんか。」といった。

(七)  吉田医師は、初診時に太郎の腹直筋の防禦が異常に強かったのに疑問を抱いていたことと、未だに痛みが継続しているところから、胃・十二指腸潰瘍の穿孔等の重症疾患の疑いを持ったので、勝田巡査長に対し「それはすぐ入院させて精密検査をしないといけない。胃潰瘍の穿孔か、十二指腸潰瘍の穿孔が疑われるから、すぐ入院させなさい。」と話し、看護婦に指示して重患室のベッドを用意させた。同医師は太郎が入院したら、直ちにレントゲン単純腹部撮影、白血球検査、発熱の有無等の検査をして全身状態の有無を確認し、その如何によって緊急手術ならびに上腹部開腹手術を行う予定であったが、後記のとおり太郎は来院しなかった。

(八)  勝田巡査長は直ちに帰署し、上司である若林主任および事件担当の福原係長ならびに八嶋刑事官(刑事課長と捜査係長の中間にあって、刑事課長を補佐し係長以下の刑事課員全員を指揮監督する)に吉田医師の言葉を報告した。

(九)  同日正午頃、太郎が房内で「痛い。」といったが、若林主任は「どこが痛いのかはっきりいわなければ駄目だよ。」と太郎につげた。同日午後一二時三〇分頃昼食の配膳があったが、太郎は摂取しなかった。

(十)  同日午後二時〇五分頃、八嶋刑事官、福原係長、若林主任らは刑事課内で、勝田巡査長の報告に基づいて協議の結果、前夜はとりあえず救急指定病院の吉田外科で診てもらったが、太郎には外傷は発見できないし、腹痛だけだから一度内科の医者に診てもらった方がよかろうということになり、赤羽署嘱託医の被告浦上の診察を乞うことにした。

(十一)  若林主任は、八嶋刑事官の命により、同日午後二時四〇分頃被告浦上と電話連絡をとり「昨晩留置された留置人がお腹が痛いと時々うなっているので来て診て下さい。」といった。

(十二)  被告浦上は同日午後三時一〇分頃赤羽署へ赴き、留置場少年房内で被告太郎を診察した。被告浦上の診察には若林主任のほか、勤務員の草野、立花両看守が立会した。被告浦上は診察に先だって、若林主任から病状の説明をうけた。若林主任は、「昨晩他人の自動車を止めて、バックミラーを壊し、更に暴れるので運転手が一一〇番し、現行犯人として留置したものであり、相手の運転手は殴られっ放しで何の抵抗もしなかった。留置後暫く暴れていたけれどもだんだん大人しくなって来たが時々うなるようなので、どうしてうなるのだと聞くとお腹が痛いのだというが、転げ回って騒ぐというような強い痛みではなかった」と順次説明し、さらに、被告浦上が嘔吐、吐き気の有無を問うと、「留置後一度も嘔吐も吐き気もない、通じもない」と説明をし、なお、同日午後二時四〇分頃太郎の検温をし、三六度六分の平熱であったことを被告浦上に報告した。被告浦上は、右説明報告をもって、太郎の病状経過のすべてであると信じ、それ以上に尋ねなかった。

(十三)  被告浦上が留置場に入ると、太郎は左側臥位をとり、安静で、うなり声はなく、顔面に苦悶状も見られなかった。被告浦上が「どうしたんだね。けんかしたんじゃないか。」と問診を始めたが、太郎は首をひねって考える仕草をしたが、積極的な返事をしなかった。被告浦上が、「現在嘔き気がするか。」と聞くと太郎は、それはないと答え、「どこが痛いんだ。」と聞くと、上腹部が痛いと答え、「今迄にこういうふうにときどきお腹が痛くなったことがあるか。」と聞くと、ときどきある旨、また左側臥位をとっていると仰臥よりも楽な旨答えた。太郎の脈搏は七二で、規則的で緊張良好であり、被告浦上が着衣を拡げて太郎の腹部を診ると、腹部は平坦で、心窩部が心持ち盛り上がり、皮下出血、擦過傷等が見られず、静脈怒張、蠕動不穏もなく、心窩部に圧痛はあったが、他の部位にはなく、腹壁に筋性防衛はなかった。小野寺氏圧診点は()、ボアス、マウバン圧診点は(+)であった。被告浦上は、以上で診断を終り、一先ずブスコパン一cc筋肉内注射を行ない、房を出た。

(十四)  被告浦上は、右の診察から、外傷性のものはないと考え、胃、十二指腸潰瘍、胆石症の疑いを持ったが、一般症状がかなり安定しているので、一応経過観察の上で善処しようと判断し、若し痛みが強くなるようであれば入院させて胃や胆道の検査をするつもりでいた。

(十五)  つづいて、福原係長が署内で、被告浦上に対し、太郎の容態と取調の可否を尋ねたところ、被告浦上は「診た結果、色々な圧診点が陽性で、一つの診断を一寸つけにくいけれども、胃けいれんのようなものでないかな。圧診点がほかにもあるからもっと違う病気かもしれない。それは五分五分だ。」「今のところはあんまり痛くはなさそうだけれども、とにかくいろいろな病気の疑いがあるから、取調は痛みがすっかり止まってからにして下さい。」と答え、更に「四時過ぎたら薬を取りに来て下さい。その時、私が留置場を出てから薬を取りに来る迄の間の患者の症状の経過をよくみて来て欲しい。」と答えて帰宅した。なお、被告浦上は、太郎が吉田医師の診察をうけていることやその内容は、太郎を診察し終って帰宅する迄に知らされていなかった。

(十六)  福原係長は、同日午後三時四〇分から午後四時頃迄太郎を二号調室で取調べ、「君もやられたのではないか。」と質問したが、太郎は黙して答えなかった。太郎は暴行の事実は認めたが、前後の状況は余り記憶していなかった。

(十七)  一方、甲野咲子は、同日午後二時頃、赤羽署より太郎を同署が留置している旨の連絡を受け、同日午後三時過ぎに赤羽署へ出頭して菊地刑事と面談し、同刑事のすすめで、太郎が右取調の為第二号調室へ入る前に刑事課の大部屋で太郎と面会した。太郎は元々顔色が黒いのだが、近親者の目から見るとその時の太郎の様子は、蒼い顔をし、目が落ち凹み、目のふちにまっ黒にくまが出来ていて、素足にサンダル履きで、四五度近く前屈みになって、両手で腹を押えて「いててて」といいながら無惨な格好であった。同女は言うべき言葉を失ない「どうしたのよ。」というと、太郎はいつもの口ぐせで「申し訳ない。」と言って調室へ入って行った。同刑事は咲子に「夕べ医者に見せたら飲みすぎだろうといわれ、今かかりつけの医者に見せたところだ。」と説明した。しかし、同女は、こんなに苦しんでいるのだから、手錠をかけてでも病院に入院させて治療させてくれないのかなと思い乍ら帰宅した。

(十八)  同日午後四時三〇分頃、若林主任が被告浦上の医院へ薬を取りに来たので、被告浦上が太郎の痛みの具合を聞いたところ、「お蔭さまで非常に楽になって、そのあとほとんどうならない。」との若林主任の返事であったので、被告浦上は、太郎の病名を急性胃炎と診断し、若林主任にその旨伝え、健胃散一グラム、ラックB一グラム、ロートエキス〇・四グラムを四日分、ブスコパン屯服二回分を処方した。

(十九)  同日午後五時頃、太郎は夕食を少し食べた。同日午後五時四〇分頃、看守が被告浦上の調剤した健胃剤を太郎に与えた。

(二〇)  太郎は、同日午後一一時前後から間欠的にかなり大きな声で痛みを訴え、他の留置人が安眠を妨げられて「うるさいぞ。」と叱責する程であったが、明け方近くまでうめき声が続き声も嗄れてしまった。

(二一)  同月二九日午前五時三〇分頃太郎が「いててて」と痛みを訴えたのを場内勤務についた勝田巡査長が聞きつけ、どの辺が痛いのかと尋ねたが太郎の返事がなく、医者にもらった薬があるから飲むかと尋ねると太郎がうなづいたので、同巡査長は被告浦上が処方したブスコパン錠剤を太郎に与えた。

(二二)  同日午前六時の起床時間に、太郎は洗面、用便のため出房したが、力が尽きて、顔を洗う元気もなく、太郎の頭髪を持って看守が洗面させた。その朝の点呼は、太郎が余り元気がないので太郎については点呼を省略し、同日午前七時三〇分頃草野巡査が朝食を配膳したが、房内の太郎の容態の異変に初めて気付き、直ちに福原係長に連絡した。同係長と菊地刑事が少年房に飛んで来たが、太郎は既に事切れている模様であったので、被告浦上に来診を要請した。

(二三)  同日午前七時四〇分頃、赤羽署から電話連絡で太郎が死亡しているらしいとの知らせを受けた被告浦上は直ちに留置場にかけつけた。直ちに太郎を診たが、腹部が全体に膨隆しており、強心剤を注射し、人工呼吸を開始してみたが反応はなく、太郎は、既に死亡していた。

(二四)  太郎の死体は検視の後、即日東京都監察医務院で行政解剖(後に司法解剖に切替)され、前記認定説示の傷害、死因等が確認された。なお、胃腸の破裂による腹膜炎は、受傷後一五、六時間内であれば、手術成績はかなり良好であり、適切な処置で危機を越せれば治癒も早いこと。

(二五)  右解剖結果により、赤羽署は、傷害致死事件として立件し、警視庁捜査一課、機動捜査隊と共に捜査を開始し、太郎の事件当日の足取りを捜査したが、前記認定説示のとおり、飲食店「あかね」に立寄った同月二七日午後一〇時三〇分までおよび同店を立去った午後一一時以降の足どりはつかめなかったが、同店では格別トラブルを起していないことが判明し、一方当初被害者と目されていた被告平野について捜査の結果、前記認定説示の被告平野の太郎に対する暴行の事実が判明し、赤羽署は、昭和四七年一二月一三日被告平野を傷害致死の被疑者として逮捕した。

(二六)  被告平野は、逮捕後の取調べにおいて「酔っぱらいから手当り次第に殴られ夢中で捕えていたが、逃げられそうになり、突嗟に相手の下半身を左足で蹴る動作をした。」旨自供したので、同署は事件を東京地方検察庁に送致した。東京地方検察庁は、同月二八日処分留保で被告平野を釈放し、同被告は本件に関してその後何らの刑事処分を受けていない。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫被告平野の本人尋問の結果中には「太郎が吉田医院から戻ってきたとき、付添の警察官がこの野郎仮病使いやがってといって太郎の脇腹を小突くのを見た」旨の供述があるが、前顕各採用証拠に照らして到底信用できない。

3  叙上認定の事実に、≪証拠省略≫を総合すると、

(一)  激しい腹痛を主訴とする急性腹症の中には、即刻開腹手術を要するものが多数含まれており、内科、外科を問わず急性腹症を取り扱う第一線の臨床医の診療上の要諦としては、次のものが大方に十分熟知されていること。

(1) 問診。極めて重要であり、患者は腹痛のため話すことを避けたがるものであるが、通常次の項目について聞き出すよう努力する。時には家族または同伴者などに問診しなければならぬ場合もある。

(ア) 腹痛発現の動機と時期、更にその後の経過についてたずねる。殊にその後腹痛が増強したか、軽減したかは勿論、場合によってはそれまでの治療法による痛みの変化も判明すれば参考になる。

(イ) 腹痛が持続性か間欠性か。しめつけるような仙痛か、刺すような痛みか、放散性かなど、腹痛の性質をよくたずねる。またどの部位から痛みだし、どの部位に拡がってきたか、あるいは限局したか、それらの時間的関係もよくたずねる。

(ウ) 悪心、嘔吐の有無(できれば吐物の性状)、排尿、放屁、排便などの異常、その他の自覚症をたずねる。

(エ) 食餌と腹痛との関係をたずねる。

(オ) 既往症、殊に既応における腹痛の有無、程度、性質など。

(2) 理学的一般検査

(ア) 視診。仙痛発作が激しいと転々反側することが多く、蝦のようにうずくまるか、前屈位で側臥位をとるのは急性汎発性腹膜炎時によくみられる。胸式呼吸で浅表、促迫は上腹部臓器よりの急性汎発性腹膜炎時によくみられる。顔面蒼白やチアノーゼは腹腔内出血を始め種々の重症疾患において経験する。

(イ) 腹壁の触診。急性化膿性腹膜炎では、初めは穿孔部周辺から腹膜炎の進行につれ、腹部全体に著明な緊張を来し、いわゆる筋性防衛を証明するのが常であり、腹腔内炎症性疾患の存在を思わしめる極めて有力な所見である。かかる時、皮下脂肪の少ない患者の腹形は平坦か、時にはむしろ陥凹することが多いが、後に腸麻痺を起せば鼓腸を来して反対に膨隆する。

(ウ) 圧痛。炎症性疾患では最初は病巣部に限局しているが、汎発性腹膜炎を起せば次第に全腹部に拡がり、同時に種々の腹膜刺激徴候も出現する。

直腸内指診により腹膜炎時にはダグラス窩の圧痛、抵抗または膜貯留などを証明し有力な診断上の助けとなることが多い。

(エ) 聴診。腸音の強弱を知ることは腸運動の変化を知る上に必要である。殊に腸麻痺の存否は診断、治療上の指針となることが多い。

(3) 臨床検査。そのいとまのない場合が多いが、少なくとも次の如きものは、要に臨み選択実施されてよい。

(ア) 血液。急性炎症疾患時には白血球増多を来すことが多いので、白血球数の算定が一般に行われている。

(イ) 尿の蛋白および血尿の有無。

(ウ) 腹部レ線単純撮影。消化管の穿孔、破裂、腹膜炎などの診断的意義は大きい。殊に胃・腸の穿孔では発症後約二時間内に特発性気膜像、特に横隔膜下に鎌形のガス像を証明することが多いので、有力な診断法として日常一般に実施されている。

(二)  右の診察時の参考諸項目は、すべての患者に一律に施行されるわけではなく、患者のおかれている環境により種々の制約や障害を受け、診療上の制約を受けることも間々ある。そのため特徴ある所見がつかみ得ないような場合には診断困難に陥ることになるが、直ちに診断を下しえない場合は、一応入院せしめたり、往診を繰返して臨床所見の経時的変化や検査成績を検討し、他医師との対診をする等して、出来るだけ速かに内科的療法か外科的療法かを決定し、要に臨んでは時機を失することなく手術に移行することが肝要であること。

(三)  吉田医師は、昭和四七年一一月二八日午前二時過頃、腹痛を主訴とする患者(太郎)を診察し、一応応急処置を行って帰したが、同日午前一〇時三〇分頃から午前一一時頃までの間に看守から痛みが残っている報告を受け、初診時に腹筋防衛が非常に強かったことを考え、胃・十二指腸潰瘍の穿孔ではないかと疑い、入院させて腹部レ線単純撮影、白血球検査、発熱の有無その他全身状態検査の上、必要ならば緊急手術のことも考え、ともかく入院することを看守にすすめ、ベッドを用意して待ったが太郎は来院しなかった。右吉田医師のとった方針は、前記の日常一般に行われている急性腹症患者の診療方針に従ったものといえること。

(四)  被告浦上医師往診の際、太郎の腹痛発現動機について本人からはっきりした説明を得られなかったこと、当時の赤羽署関係者も太郎の受傷模様が判然としなかったこと、同日午前零時三〇分頃赤羽署で太郎が嘔吐したことの報告を被告浦上が受けていないこと、これは、診断のきっかけとなる問診上の参考資料が十分得られなかったことになるから、汎発性化膿性腹膜炎の原因となった腸管破裂の探知を困難にしたとはいえるが、右腹膜炎の診断を困難にした直接因子ではないこと。

(五)  被告浦上医師が往診した当時の所見は、前記認定説示のとおり、患者は左側臥位をとり、安静でうなり声はなく、顔面に苦悶状も見られず、脈搏は七二、規則的で緊張良好、腹部は平坦で心窩部が少し持ち上り、腹壁に筋性防衛はなく、心窩部に圧痛はあったが他の部位にはなく、腫瘤は触れず、腸の蠕動不隠も認めず、下腹部に特別な所見はなく、体位変換は容易に行い得るなど、全身的にも、局所的にもかなり安定感を思わしめる所見であり、殊に当時は悪心、嘔吐もなく、腹壁の筋性防衛も触知されず、心窩部以外の圧痛がなかったことなどは、化膿性腹膜炎の存在を否定する根拠ともなりかねないこと、右のように筋性防衛が全く触れなかったというような安定状態が、如何なる機序によって起ったのかは全くわからないこと、右所見を直視して考えると、急性化膿性汎発性腹膜炎の経過中における一時的小康状態とはいえ、少くとも臨床的にはかなり安定した状態におかれていたと思われるので、たまたま当時一回の診察では直ちに臨床検査に踏み切らず、一応経過観察の上で善処と考えたのも止むを得ないといえること。

(六)  死体解剖時に初めて指摘された上腹部皮下出血は、解剖構造上極めて微量の皮下出血であり、生前皮下出血として看取できなかったものが、死後皮膚が蒼白となり、始めて看取できたものであり、被告浦上が看過した所見とはいえないこと。

(七)  両下腿の皮下出血は、浦上医師が同部を診察しなかったために指摘しなかった所見であるが、本件の場合は、患者が酩酊していたことと相並んで本人が打撲の如き外傷を受け易い状態にあったことを推定する間接的な参考資料となり得るし、医師としては合併所見として診療カルテに記録する必要があること、しかし、死因となった腸管破裂による急性化膿性汎発性腹膜炎とは直接の関係がないので、被告浦上の診療行為上の欠陥とはいえないこと。

(八)  同日午後三時一〇分頃の所見では汎発性腹膜炎を疑わしめる所見が把握されておらず、しかも全身状態が落ちついており、若林主任の報告では非常に楽になったというのであるから、臨床的には同日午後四時三〇分頃の被告浦上医師の判断、投薬に欠点があったとはいえないこと。しかし、解剖結果に照らせば、結果論的には内服薬を投与したことも、その判断も適当ではなかったといわざるを得ないこと。

(九)  被告浦上医師が赤羽署に往診した際、赤羽署関係者が、当日午前二時頃吉田医師に受診し、その後太郎の腹痛が去らないので同医師に報告したところ、同医師から前記のとおり入院、精密検査などの必要があるといわれたことなど、吉田医師に受診した顛末を被告浦上医師に話さなかったことは、本件患者の診療方針を困惑させた一要因であることを銘記せねばならないこと。右往診時は腹痛発現後約一五時間を経過しており、当時は前記のとおり小康状態にみえたにせよ、既に吉田医師に受診してその後入院、精密検査の必要をすすめられた叙上の事実を知るならば、何等かの方法による意見交換の上診療方針を決定するか、あるいは吉田医師の意見を参考にして診療方針を再考するのが、第一線の臨床家の一般的な行き方であること。その場合少なくとも腹部レ線単純撮影その他必要な臨床検査の方向に進んだであろうことは容易に予測されること。しかも、胃腸の破裂による腹膜炎は、受傷後一五、六時間以内であれば、手術成績はかなり良好で、適切な処置で危機を越せれば治癒も早く、後遺症も軽いのが特徴であること。

(十)  一方浦上医師も腹痛発現後既に一五時間を経過した腹痛患者の診察であるから、この点において、それまで如何なる治療を受け、如何なる経過をとったかについては、特段の事情のないかぎり、医師として当然たずねるべきであったこと。これら初診時よりの経過を知ることは、診断困難な急性腹症の診療上に有力な手がかりを与えることが多いので、本件の場合も実行されるべきであったこと。

(十一)  赤羽署看守係若林主任は、同署へ往診する被告浦上に対し、平常は留置理由や疾病の経過を割合ていねいによく説明してくれるのが常であったこと。

以上のとおり認定、判断することができ、右認定を覆すに足りる証拠、右判断を左右するに足りる事実の立証はない。

叙上の事実関係ならびに判断によれば、被告浦上の診療行為上の問題点としては、前記のとおり、初診時に太郎がそれまで如何なる治療を受け、如何なる経過をとったかについて医師として当然に詳細に尋ねるべきである(以下本件問診という)のにそれがなされていないことが指摘されるが、前記認定のとおり、被告浦上医師は、従前留置理由や疾病の経過(医師の診察を受けていることは当然これに含まれる)につきていねいに説明してくれる若林主任が、当日は、何故か、吉田医師に受診した顛末を話さず、その余の経過を叙上認定のとおり種々説明したので、留置人の挙止、処遇を熟知する同主任の言葉をそのまま経過の全部であると信じ、しかも、患者自身の口からも、その余の警察官からも、吉田医師の診察の顛末が全く話されなかったうえに、たまたま診療時の太郎の容態は、前記認定のとおり少なくとも臨床的にはかなり安定した状態におかれて居り、殊に当時は悪心、嘔吐もなく、腹壁の筋性防衛も触知されず、心窩部以外の圧痛がないなど、化膿性腹膜炎の存在を否定する材料所見があったという特段の事情から、太郎がそれまで如何なる治療をうけ、如何なる経過をとったかについて叙上認定以上に尋ねることをせず、そのため吉田医師の診察の事実およびその内容を知るに至らなかったことが明らかであるから、かかる事情のもとにおいては、被告浦上が本件問診をつくさなかったことをもって同被告の過失ということはできない。

4  (被告浦上の責任)

叙上説示の事実関係のもとにおいては、被告浦上に原告ら主張の過失は認められない。しかも、被告浦上は開業医であって、公務員ではないが、赤羽署の嘱託医であり、赤羽署刑事課長(留置主任者)の委託により留置中の太郎に対する本件診療行為に及んだものであるから、右刑事課長ら赤羽署警察官らが留置人太郎の身体を拘束する公権力の行使にあたりその履行補助者若しくは公務員に準ずる者として右公権力の行使を補助したものというべく、国家賠償法第一条の法意に照らし、被告浦上個人としては、その所為につき損害賠償の責に任ずべきかぎりでないと解すべき余地がある。

なお原告らは予備的に被告浦上の債務不履行を主張するところ、原告ら主張の診療契約の成立を認めるに足りる証拠は全く存しない。

5  (被告東京都の責任)

赤羽署長鈴木成、同刑事課長小川利治、捜査担当官および看守勤務者が、被疑者留置規則の定めに基づきそれぞれ職務上の地位に応じ職務上の義務を有し、留置人が疾病にかかった場合には、必要な治療を受けさせ、あるいは医療施設に収容する等その状況に応じ適当な措置を講じ、太郎の生存に必要な保護をなすべき義務を有することは、原告らと被告東京都との間で争いがなく、右留置規則は、留置主任者、看守者らに極めて高度の注意義務を課しており、強制力を用いて身柄を留置場内に拘束している以上、被疑者の身体生命の安全を保護するについては、警察当局において万全を期すべき責任および義務があり(本件のような被留置人の生命にかかる病気に関しては適切な医療措置を講ずべき義務がある)ことが明らかである。

しかるに叙上の事実関係によれば、赤羽署の当該警察官らは、被疑者留置という公権力の行使中に発生した被疑者太郎の病について再度吉田医師に太郎の処置を質す程度に太郎の症状を認識し、且つ吉田医師から入院、精密検査の指示を受けているのであるから(仮りに勝田看守の報告が、被告東京都ら主張の如きものであったとしても、入院・精密検査の言葉を耳にしている以上径庭はない。)、同医師の指示に従って太郎の入院措置をとるか、同医師の指示に疑念があれば電話により吉田医師の見解を確認する等の措置をとるべきであった、そうすれば太郎の症状が生命にかかわる病気の疑いを示すことが、既にこの時頃に認識しえ、早期に治療救命の措置に及び得た筈である。しかるに、赤羽署の当該警察官らは、素人考えでたやすく医者をかえ、あたら適切なる加療処置、救命の機会を失し、さらに、被告浦上医師の診察に際しては、叙上の吉田医師の診察の顛末を被告浦上医師に告げなかったため、被告浦上医師をして、あたら適切な加療処置にいずる機会を失せしめ、結局、太郎に対して、救命可能な時間内に開腹手術等の適切な救命医療の処置をつくすべき機会を逸した過失があるというべきである。(なお、赤羽署員らに、原告ら主張のその余の過失を認めるに足る事実の立証はない。)

したがって、国家賠償法第一条第一項に則り、被告東京都は、その公権力の行使にあたる当該赤羽署警察官らの過失と被告平野の叙上の加害行為とが相俟って惹起した本件死亡事故によって太郎およびその妻、子である原告らに生じた損害を賠償すべき義務があるといわねばならない。

七  そこで右損害額について判断する。

≪証拠省略≫を総合すると、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  太郎は、昭和六年一一月一日生で、事件当時満四一才で、実兄の甲野五郎の経営する甲野工業に雇傭され防水工事の仕事に従事し、月少くとも二四日は稼働し、一日あたり金四、五〇〇円の収入があり、右五郎方に止宿し、家賃、食費等を現物給付されていたから、生活費を控除して毎月少くとも七万円の純収入があったこと。死亡前は健康体であったこと、本件事件後少なくとも二四年間は就労可能と期待しうべきであること(厚生省第一二回生命表参照)が認められるから、これによってホフマン式計数表に従い逸失利益を計算すると、金一、三〇二万円となる。

(七万円×一二×一五・五〇〇=一、三〇二万円)

(二)  しかし死亡者である太郎には次の如き相当の過失があるので、同人が本件事故によって蒙った損害の賠償額の算定にはこれを参酌すべきである。すなわち、叙上認定事実によれば、太郎は飲酒の上深夜の街を徘徊し、酔余、一面識もない被告平野に対し理由もなくしつこくからみ、同被告らの乗用車のバックミラーを破損し、喧嘩口論の挙句同被告の憤激、加害を招いた点があり、また、本件の如き非開放性腹部外傷においては、患者自からがその受傷の事実を訴えなければ、他からは容易にその事実を窺い知ることができないところ、太郎は吉田医師の問診に対しても被告浦上医師の問診に対しても、更に赤羽署関係者の取調べや質問に対しても、何故か沈黙を押し通し(苦痛で言葉を発しえなかった訳ではない)危険防止のために適切有効な措置に出なかったことが看取され、これが切角の救命の機会を失した一縁となったこと前判示のとおりであるから、以上は被害者太郎の過失と評価せざるを得ない。これを斟酌すると、太郎が死亡することによって蒙った逸失利益の損害に対する賠償額は、金六六〇万円をもって相当とする。

(三)  原告らは、太郎の死亡により、一家の支柱を失ない、かつ同人が留置場の鉄格子の中で敢え無い最後を遂げたことにより甚大な精神的苦痛を蒙ったことは明らかであるが、叙上認定説示の諸般の事情(被害者の過失を含む)に、前顕各証拠および≪証拠省略≫により認められる、赤羽署長鈴木成が原告ら遺族に深甚なる陳謝の意を表し、太郎の葬儀に際しては丁重なる香典を霊前に供えて慰謝に努め、また太郎を遺体のまま郷里へ帰したいとの原告らの懇望に応えて、赤羽署の署長用乗用車外一台の車両の便宜を供与し、同署員四名を付添わせて、福島県伊達郡飯野町の原告ら宅まで太郎の遺骸を護送する等誠意を尽している事実を参酌すると、太郎の慰藉料は金三〇〇万円、原告ら固有の慰藉料は各金一〇〇万円が相当である。

(四)  原告花子が太郎の葬祭費用として金四〇万六、五四七円を支出したこと、原告両名が本訴の提起追行を弁護士野島信正に委任し報酬として認容額の一割を支払う旨約定したことが認められるが、上来認定してきた諸般の事情(被害者の過失を含む)を参酌すると、本件において被告東京都、被告平野が賠償すべき葬儀費用としては金二〇万円、弁護士費用としては原告一郎につき金六〇万円、同花子につき金三〇万円が各相当である。

(五)  原告一郎は太郎の子、原告花子は太郎の配偶者として、法定相続分に応じて前記太郎の損害賠償請求権を相続したものと認められるから、原告ら固有の損害賠償請求権と併せると、原告一郎において金八〇〇万円(相続分は金六四〇万円)、原告花子において金四七〇万円(相続分は金三二〇万円)の各損害賠償請求権を有する。

なお、≪証拠省略≫によれば、太郎が昭和三五年頃、精神病のため武蔵野病院に半年入院し、昭和三七年八月二七日から二九三日間、同三八年八月二七日から六四〇日間精神分裂病により桜ヶ丘病院(福島県)に入院し、同四七年八月二二日、福島県精神衛生センターの診察を受けたことが認められるが、右事実は前記認定の妨げとなるものではない。

八  以上の次第であるから、原告らの被告東京都、被告平野に対する請求は、原告一郎の金八〇〇万円、原告花子の金四七〇万円および右各金員から弁護士費用を控除した金員(原告一郎金七四〇万円、原告花子金四四〇万円)に対する本件死亡事故発生当日である昭和四七年一一月二九日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容することとし、その余の請求および被告浦上に対する請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 後藤静思 裁判官 渡辺雅文 裁判官松永真明は職務代行を解かれたため署名捺印できない。裁判長裁判官 後藤静思)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例